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名古屋高等裁判所 昭和56年(う)14号 判決 1982年12月09日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人に対し、公職選承法二五二条一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を四年に短縮する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人石原金三、同山岸赳夫、同塩見渉連名の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、起訴状記載の公訴事実(供与、事前運動)を認容し、「被告人が、立候補届出前の昭和五四年二月二三日ころ愛知県葉栗郡木曽川町大字外割田字西郷東六四番地所在の西割田公会堂において、清酒一・八リットル入り五本宛五組(合計二五本)を提供した行為は、(1)原判示川合芳一郎ほか五名を受供与者として、同人らに対し個人的に右清酒を取得させるものとして提供したものであり、(2)その趣旨は、同年四月二二日施行予定の同町議会議員選挙に際し、同人らに対し、自己のため投票並びに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬とするものであった」という趣旨の認定をしているが、右(1)(2)はいずれも右清酒の提供が行われた実際の経緯及び状況を曲解し、事実を誤認したものであって、原審で取り調べられたすべての証拠上、とうてい右のような事実を認定することができない、というのである。以下、その理由を要約すると、

(一)  右(1)の認定について

1  前記川合芳一郎ほか五名は、木曽川町内の西割田地区にある五つの部落(東屋敷、西屋敷、中屋敷、南屋敷及び北屋敷)のそれぞれの年行司という役目にあった者であるが、その役目上、被告人から各屋敷宛に提供された清酒をその屋敷まで持ち帰るべく運んだものにすぎず、誰一人としてこの清酒を自分にもらったものと思って持ち帰った者はいなかった。年行司は、古く江戸時代にはじまる制度であって、その初期には相当の権限をもって諸々の行政的事項を決定し、かつ、執行していたようにうかがわれるが、その後、むしろ何らの裁量権、決定権等を有しない単なる伝達機関としての役柄(輪番制)に変容し、すでに久しい年月を経過しているのであって、客観的にも、年行司の機構上前記川合芳一郎らが右清酒を私的に領得する余地など全くなかった。被告人としても、屋敷における年行司の制度上の役柄や原判示当日公会堂で行われた年行司寄合の性格(役員や代表者の集まりではなく、輪番制の年行司の中から不特定の者が伝達役として集まるものであること)を十分知っていたので、そのような不特定の個人に対して清酒を与える意思はなかった。被告人は、各屋敷からどういう人物が出席するのか知らなかったが、それが誰であっても、要は清酒を各屋敷まで届けてくれればよかったのであり、清酒が各屋敷に届けられないというようなことは全く考えていなかった。

2  原判決は、この点に関し「被告人は、本件清酒を相手方たる年行司の代表らに一任する趣旨をもって手交したもの、すなわち単に物品の所持を移転しただけでなく、その利益を相手方らに帰属させる意思をもって手交したものというべきである」旨説示しているが、原判決がその理由としてあげる被告人の捜査段階における右説示に沿う供述は、検察官の理詰めの追及による結果であり、その任意性に疑いをいれる余地が存するうえ、その信用性、真実性については、特に年行司制度の実際等について正しい認識に立って厳しく吟味すべきものであり、また、同じく原判決が理由とする「被告人が清酒の分配方法やその範囲等について相手方に指示を与えず、相手方がその処置につき何ら質すことなく受領した」旨の事実も、前叙の年行司制度の実態からすれば、むしろ当然のことであって、右のような供述や事実は、直ちに前記説示を根拠づけるものではない。

3  原判決はまた、「寄合に出席した年行司らは、各屋敷を事実上代表する形でその席に連ったものであるが、そのうち本件清酒を受領した年行司らは、(中略)その処置を一存により決しえないとしても、少くともその決定に参加し、ないしは事実上これを采配しうる立場にあった」旨説示しているが、前記川合芳一郎ほか五名が地元において「代表」とみなされたことは全くなく、他の年行司を代理又は代表する立場で出席したことを認めさせる証拠もないうえ、出席した年行司のうち右六名のみを代表者であるとした理由はどこにあるのかなど、全く不明確であり、理解できない区別であって、結局は清酒を運んだ者が代表者とされているにすぎないのである。そして、かりに同人らが年行司の代表であるとすれば、なおさらのこと、年行司寄合という公式の席で、しかも同僚の年行司がいるのに、各屋敷宛に公然と提供された本件清酒を自己個人に与えられたものとして受領し、私的な領得品として処理することなどとうていありえない。また、受供与者にされる者らも、検察官に対し、いずれも基本的には本件清酒を「屋敷にもらい、預かった」旨供述しているのである。

4  更に原判決は、「たとえ年行司の各屋敷内における慣習上の地位が、その性質上部落民の意思ないし部落内規範による制約を当然随伴しているとしても、右年行司らは、被告人との間に、本件清酒の処置に関して何らの合意ないし了解がなく、被告人の意思によって制約を受けない立場に置かれていた(中略)から、被告人に対する関係では、すべて本件清酒の処置を、事実上一任されていたものであって、単に被告人ないし各屋敷の手足として清酒の運搬を機械的に担当したものとは、とうてい断じ難い」旨説示しているが、右は年行司の立場上の制約を肯認しながら、被告人との関係では処分を一任されていた、すなわち無制約であるという結論を導いたもので、論理の矛盾があり、事実と遊離した甚だしい独断である。

(二)  前記(2)の認定について

1  被告人は、本件清酒を団体としての各屋敷へ提供したのであるが、これは次のような経緯及び理由により、西割田地区における社会生活上の儀礼としてなされたものであり、前記川合芳一郎ほか五名に投票や選挙運動をしてもらうための報酬ではない。すなわち、被告人は、四期一六年の長期にわたり町議会議員として活動し、昭和五三年から昭和五四年二月にかけて自治功労賞を受賞する栄誉に浴した。これは木曽川町において二人目の受賞であり、被告人としては自分を町議として選出してくれた地元住民に対し慶びと感謝の気持を表わすべき状況におかれていたところ、今次選挙につき、昭和五四年二月二〇日西割田部落の推薦選考委員会において、自己が同部落の推薦候補者として指名を受けたので、被告人としては重なる栄誉について、地元の五屋敷の住民全体に対していわゆる「うれしみ」として儀礼の品を提供し、内祝の気持を披露することとした。折しも被告人は、右選考委員会の際、自己が単に挨拶しただけで、何らの謝意の品を提供せず、「うれしみ」の形を表わさなかったことについて、委員の中から批判の声が出たと聞き、また、地元東屋敷の長老相談役の武田貞三とその兄で同じく相談役の武田儀一から、儀礼を欠かさぬよう五屋敷に「うれしみ」の品を提供するよう示唆、勧告を受け、更に、右武田貞三方に同人及び杉浦源三ら東屋敷の相談役やオブザーバーとして日比野博に集まってもらい、自治功労賞の受賞と部落推薦を受けたことに対する感謝及び答礼の形をどのようにするか相談し、協議と指示を求め、その結果武田貞三の強い意見に従って原判示当日の年行司寄合の席を借り、慣習上の儀礼として各屋敷宛に一率に清酒五升程度を出すことに決め、右の経緯に基づき、本件清酒を提供したものである。

2  本件清酒は、右のように各屋敷を対象としているのであるから、川合芳一郎ほか五名に対する報酬性はないうえ、同人らに対し特に投票や選挙運動を依頼する意思もなく、同人ら特定の者を買収する必要も一切なかった。被告人は、五期目の立候補であるうえ、公式の部落推薦があれば、以前よりははるかに多くの票が得られることは確実であり、部落推薦である以上、五屋敷の住民が被告人の当選に協力してくれることは自明であった。しかも、受供与者の一人とされる杉浦源三は、被告人と同じ屋敷に住んでいる相談役であって、本件選挙で被告人の事務長をつとめた間柄であり、また同人は、そもそも本件清酒を提供することにつき武田貞三方で協議した者の一人であり、被告人が東屋敷に対して儀礼を果たすのはともかく、同人を買収することなど全く矛盾であり、そのような必要性はなかった(同人の検察官に対する供述調書中、「個人的に買収された」ことを認める供述は、真実に合致していない)。

3  原判決は、この点に関し、被告人の捜査段階での「年行司寄合に出席した各屋敷の年行司を通じて来たるべき選挙に自分を当選させてくれるよう各有権者に働きかけて欲しいとの気持で清酒五本宛五組を出した」旨の供述と、川合芳一郎らの検察官に対する各供述調書によれば、右川合らはいずれも清酒を受領すれば選挙違反になるのではないかとの危惧の念を抱きながら、暗々裡に趣旨を了承して清酒を受領したと認められることをあげて、前記の趣旨を認定しているが、右各供述がその任意性について疑問を抱かせるものであることは、さきに被告人の供述につき明らかにした事情と同様であり、右認定の理由として十分なものとはとうてい認められないというのである。

二  そこで調査すると、まず、被告人は、昭和五四年四月二二日施行の木曽川町議会議員選挙に際し、同町区内から立候補することを決意していたものであるが、本件は、被告人が、立候補届出前の同年二月二三日ころ原判示西割田公会堂で開かれた通称西割田部落の年行司寄合に出席して、出席者の原判示川合芳一郎らに対し、一級清酒一・八リットル入り五本宛五組(合計二五本)(時価合計三万六二五〇円相当)を提供したことは、原審で取り調べた関係各証拠に徴し明らかであるから、以下に被告人が右清酒を提供するに至った経緯、その際の状況及び右提供後の処分状況などについて検討する。

原審で取り調べた関係各証拠に当審における事実取調べの結果を加え、これらを総合して考察すると、

(一)  被告人及び原判示川合芳一郎らが居住する木曽川町大字外割田二区(通称西割田地区又は西割田部落)は、当時所帯数約三五〇戸(有権者数九五〇名余)から成る部落であり、更にそれが東屋敷、西屋敷、中屋敷、南屋敷及び北屋敷と呼ばれる五つの部落に分かれていた。右各屋敷の所帯数は、少ないところで約五〇戸(中屋敷)、多いところで一〇〇戸弱(西屋敷)であり、これに応じ各屋敷にはそれぞれ六名ないし九名位の「年行司」と呼ばれる役職が置かれていた。そして、西割田部落には部落住民から選出される区長のほか、区長と各屋敷の年行司との間にあって、年行司をとりまとめる「獅子元」と呼ばれる役職(各屋敷の年行司による輪番制)が設けられていた。

各屋敷は、いずれも右のように西割田地区内の特定地域の住民により構成される団体であり、それは古くからの慣習上の存在であるが、もとより法人格はなく、当時その運営、代表の方法、財産の管理処分について明示の規約がなく、それらは慣行に依拠しつつ、必要に応じ住民の総会、年行司ら、あるいはこれらとその屋敷の相談役らとの協議などによって行われ、各屋敷の年行司(一年交替の輪番制)は、その屋敷の祭礼行事の段取り、神社、道路などの清掃、木曽川町からの連絡事項の伝達、広報文書の配布などを行ない、右行事の執行などに関し、ある範囲で裁量権はあるものの、年行司各自が各屋敷を代表又は代理して法律行為をし、あるいは重要な事項を決定しうるような権限はなかった。

なお西割田部落は、以下(二)で述べる機構改革により、昭和五四年四月一日以降、各屋敷がそれぞれ東町、西町、中町、南町及び北町と名称を改めたほか、新たに西割田常会規約を制定し、西割田部落及び各町内の役職が改められた。

(二)  西割田地区の区長であった原判示五藤和吾は、旧態依然たる同部落(なお、同部落の住民は必ずしも土地生え抜きの者ばかりでなく、新たに他から転入してきた者も増えていた。)の機構改革を考え、年行司らの賛成を得て同部落住民にアンケート調査をしたところ、昭和五三年六月ころその提案した(1)部落機構の改革、(2)葬式の簡素化及び(3)町議立候補者に対する部落推薦制の導入の三点について、いずれも多数住民の賛成が得られた。そこで、これらを実行に移すため、まず五藤和吾を委員長とする機構改革推進委員会が発足した。次いで、右推進委員会の席上で、昭和五四年四月二二日施行予定の本件選挙の候補者を推薦するため、各屋敷から三名ないし五名の委員を選出して推薦選考委員会を発足させることが決められた。右の経過で、右五藤和吾、原判示杉浦源三(東屋敷の相談役兼年行司)、同後藤務(中屋敷の年行司)、同川合一郎(北屋敷の年行司)を含む合計一八名の選考委員が各屋敷から選出され、五藤和吾がその委員長に就任した。右選考委員会は、昭和五四年一月一四日ころ及び同月二九日ころの二回にわたって開かれ、西屋敷選出の委員から一部異論が出たものの、最終的には現職議員(昭和三八年以降四期連続で当選)である被告人を推薦することに決定した。これに基づき、同五四年二月二日ころ右五藤和吾らが被告人方を訪ねて再出馬を要請したところ、被告人は快くこれを承諾した。五藤和吾は、同月二〇日ころ三回目の選考委員会を開いて、正式に被告人が右の承諾をしたことを報告し、被告人自身もその場に出席して推薦に対する謝辞を述べた。

(三)  その後被告人は、自己が右委員会に出席して挨拶をしただけで、何ら謝意を表わす品物を提供しなかったことに関し、「コーヒー一杯も出なかった」「酒の一杯も出さなかった」などの声が一部委員から出たと聞き、また、自己の住む東屋敷の長老武田儀一からも、同人の妻を介して部落推薦に対する「しるし」を出した方がよいのではないかと伝えてきた。そこで被告人は、二月二二日ころ東屋敷の相談役武田貞三方に、同人及び同屋敷の相談役である杉浦源三、川合安一、川合富士らに集まってもらい、その意見を徴したところ、「酒ぐらい出した方がよい」「被告人が自治功労賞を受賞した祝いという名目で出したらどうか」ということであった(なお各屋敷には、結婚、出産などの慶事、あるいは屋敷入りなどの際には、「うれしみ」あるいは「しるし」として現金、酒などを年行司をとおして屋敷に寄付する慣行があったが、選挙に関し部落推薦を受けたことに対する「うれしみ」あるいは「しるし」として金品が提供された先例はなかった)。被告人は、時期が時期だけに選挙違反になるのではないかと考え、相談役らに東屋敷の名前で出してもらえないかと話したところ、「どちらでも一緒ではないか」といわれ、結局、被告人は自己の名前で各屋敷に一率に清酒一・八リットル入り五本宛を提供することを決意するに至った。その際被告人が意識していた屋敷というのは、団体としての屋敷という抽象的なものではなく、屋敷を構成する住民、特に有権者であった。すなわち、被告人は、五屋敷の年行司らを通じ各屋敷の選挙人らに酒を供与することを意図したものと解される。

(四)  一方、五藤和吾は、部落推薦を決めた被告人を当選させるためには、各屋敷の年行司らに対し、右推薦結果を正式に発表し、年行司らを通じて各屋敷の有権者らに右趣旨を周知徹底させるなど被告人を推す運動をしてもらう必要があると考え、原判示当日(二月二三日ころ)の夜、西割田公会堂に年行司らを招集して年行司寄合を開催した。同寄合は、獅子元である川合芳一郎(南屋敷の年行司)、五藤和吾(中屋敷の年行司でもあった。)を含め各屋敷から合計一一名位の年行司が出席し、これに被告人夫妻が参加し、右川合芳一郎の司会で進められた。同人の挨拶につづいて、五藤和吾が、「推薦選考委員会で被告人の推薦を決定した。それで年行司の皆さんからこの趣旨を各屋敷の人達に周知徹底してもらうようお願いしたい」旨発言し、次いで被告人が、部落推薦に対する謝意とともに、自己の町議会議員としての実績や自治功労賞を受賞したことを述べたうえ「今後ともよろしくお願いします」と挨拶した。更に被告人の妻も「お世話になります。よろしくお願いします」と挨拶した。

被告人は、これに先立ち自己が購入した一級清酒一・八リットル入り五本を一縛りにし白紙ののし紙をつけたもの五組を自宅から自動車で公会堂に運搬し、川合芳一郎らに手伝ってもらって同公会堂の勝手場に運び入れたうえ、川合芳一郎及び五藤和吾に対し「推薦のうれしみの酒を持って来た」旨伝えていたところ、右寄合の席上、川合芳一郎から「被告人から酒を頂いた」旨披露され、これに対し年行司らは「えらいごたいげ(御大儀)にしてもらってすまなかった」などと礼を言った。なお、この席上被告人の選挙の三役などをどうするかについても話し合われたが、結局被告人側で地元の東屋敷から選出した方がよいということになり、被告人夫妻は右寄合終了とともに帰宅した。年行司らは、引き続き同公会堂で子供会役員との会合を開いたうえ、同日午後一一時三〇分ころ解散することになった。その際川合芳一郎は、帰宅しようとする他の屋敷の年行司らを呼び止め、被告人が置いていった清酒を「屋敷に持ち帰るように」と言って、次項に述べるとおり屋敷ごとに一組ずつ持ち帰らせ、自らも一組を持ち帰った。

(五)1  東屋敷について

東屋敷からは、前記寄合に年行司の杉浦源三及び岡崎一男の両名が出席していたが、長老格の杉浦源三は、選挙違反になるのではないかと危惧しながらも、清酒一・八リットル入り五本一組を受け取り、岡崎一男に手伝わせて自宅に持ち帰って保管した。杉浦源三は、翌日ころ被告人が本件選挙の候補者に推薦された旨記載した回覧板を一〇個位作って、同屋敷の年行司らのところへ持って行き、二名の年行司に対しては「被告人から東屋敷へ酒五升をもらった」旨告げ、更に同年三月中旬ころ西割田公会堂で開かれた東屋敷の総会において、出席者に対し「被告人から酒五本を頂いている」旨披露したところ、右清酒の処分について特に意見もなかったので、同年四月一日ころ同屋敷(東町)の新役員へ右清酒を引き継ぎ、新役員において同月一六日ころ被告人の選挙事務所に同屋敷からの陣中見舞としてこれを届けた。

2  西屋敷について

西屋敷からは、前記寄合に年行司山田峰雄が出席していたところ、同人は清酒一・八リットル入り五本一組を受け取り、自宅に持ち帰って保管した。同人は、翌日同屋敷の年行司加藤元宏の家へ行き、同人に「ゆうべ被告人の選挙のことで寄合に行ったら酒が五本出たのでもらって来た」旨話したところ、「えらい酒をもらって来てどうするのだ」といわれた。西屋敷では、山田峰雄が同屋敷の相談役に右清酒のことをはからなかったことで、引継ぎに際し問題となったものの、同人は結局同年四月初めころ右清酒を同屋敷(西町)の新役員に引き継ぎ、同月一五日ころ新役員とともに被告人の選挙事務所に同屋敷からの陣中見舞としてこれを届けた。

3  中屋敷について

中屋敷からは、前記寄合に年行司の五藤和吾及び後藤務の両名が出席していたが、帰宅に際し、両名が話し合い、清酒一・八リットル入り五本一組を受け取り、家の近い後藤務が持ち帰ることになった。これにより後藤務は、右清酒を自宅に持ち帰って保管したうえ、同年三月中旬ころお宮掃除のとき集まった中屋敷の住民らに「被告人から酒五升を頂いた。これは飲んだ方がいいか」などと意見を求めたところ、意見が分かれ、飲んでしまえという意見もあったが、結局多数意見に従い来たる選挙の際陣中見舞に持って行くこととし、同年四月一日ころ右清酒を同屋敷(中町)の新役員に引き継ぎ、新役員においてその後被告人の選挙事務所に同屋敷からの陣中見舞としてこれを届けた。

4  南屋敷について

南屋敷からは、前記寄合に年行司の川合芳一郎、長屋みや子及び里中加代子の三名が出席していたが、川合芳一郎が清酒一・八リットル入り五本一組を自宅に持ち帰って保管した。同人は、同年三月四日ころ西割田公会堂で開かれた南屋敷の寄合において、出席者に被告人が部落推薦に決まったこと及び被告人から酒五本をもらったことを披露したうえ、同年四月一日ころ右清酒を同屋敷(南町)の新役員に引き継ぎ、新役員においてその後被告人の選挙事務所に同屋敷からの陣中見舞としてこれを届けた。

5  北屋敷について

北屋敷からは、前記寄合に年行司の川合一郎、川合恒司及び森辰生の三名が出席していたが、長老格の川合一郎が、清酒一・八リットル入り五本一組を受け取ったうえ、川合恒司が車で来ていたことから森辰生とともに右清酒をその車に乗せてもらって帰ったうえ、右清酒を川合恒司方に預け、同人方で保管した。川合一郎は、同年三月二〇日ころ自宅に北屋敷の年行司や相談役らに集まってもらい、右清酒の処分について相談したところ、その酒はこわくて飲めない、来たる選挙の際陣中見舞の酒に回したらどうかということになり、結局同月末ころ川合恒司から右清酒を受け取って、同年四月二日ころ同屋敷(北町)の新役員にこれを引き継ぎ、新役員において同月一五日ころ被告人の選挙事務所に同屋敷からの陣中見舞としてこれを届けた。

以上のように認められる。《証拠判断省略》

三  叙上認定の事実に基づき、なお関係各証拠を加えて考察すると、被告人は、昭和五四年四月二二日施行の木曽川町議会議員選挙について、西割田部落の推薦選考委員会により同部落の推薦候補者に決定され、今回も立候補することを決意していたところ、右委員会で推薦されたからといって、その趣旨が部落住民に周知徹底されず、あるいは部落住民の反発、不評をかうときは、部落推薦の実をあげることができないことは明らかであって、そのため、被告人としては、屋敷住民と直接接触をもつ年行司らがその屋敷の有権者らに部落推薦の趣旨(住民が被告人に投票するように働きかけることを当然包含していたと考えられる。)を周知徹底させ、右有権者らが右推薦の趣旨に沿って一致して被告人を支援してくれるよう働きかけてくれることを期待し、これを依頼する目的もあって前記年行司寄合に臨んだことを推認するに難くなく、五藤和吾が右寄合を招集して自ら発言し、また、被告人が右寄合に特に出席して挨拶し本件清酒を提供したのは、この点に主目的があったとうかがわれる。そうしてみると、被告人は、自己の当選を得る目的で、出席した各屋敷の年行司らに対し、屋敷の住民に働きかけ自己のため投票並びに投票とりまとめなどの選挙運動をするよう依頼することを嘱託するとともに、部落推薦を受けたことに対する謝礼の名目で、右年行司らに右清酒を各屋敷に持ち帰ってもらい、その屋敷の選挙人らに飲ませるなど右投票等の報酬として供与させる意図で、右清酒を寄託したものと認めるのが相当であり、年行司らもまた、その趣旨を了承しながらその寄託を受けたものであることを推認するに十分である。なお付言すると、本件清酒は、右の趣旨で提供されたのではあるが、関係各証拠によると、右清酒を託された年行司のみならず、その持ち帰った各屋敷の他の年行司らその他の住民の多くが、選挙違反になることをおそれて、これを飲むなどの処分をすることに消極的であり、そのためいずれも年度替わりにそれぞれ新役員にこれを引き継ぎ、最終的には被告人の選挙事務所に陣中見舞として届けた経緯がうかがわれるところ、各屋敷の住民が本件清酒を飲むなどの処分をしていないことも、何ら前記の認定を左右するものでない。

所論は、本件清酒は(1)部落推薦を受けたこと及び(2)自治功労賞を受賞したことに対するいわゆる「うれしみ」であり、社会生活上の儀礼であったというが、しかし、前記認定の事実に徴すると、それが単なる社会生活上の儀礼としてなされたものとは、とうてい認められない。なるほど、被告人は、右(1)の趣旨で本件清酒を提供するものである旨前記川合芳一郎らに表明していたことは認められるが、右は表面上の名目にすぎず、その実質は各屋敷の選挙人らに供与すべき報酬であることは、さきに認定したとおりである。また、所論のように(2)の自治功労賞の受賞に対する社会生活上の儀礼という趣旨が同時に包含されていたとしても、右は極めて名目的、附随的なものであるうえ、すでに前叙の選挙報酬の趣旨が存することが明らかである以上、何ら犯罪の成否に消長を及ぼすものでない。

ところで、原判決は、所論指摘のとおり年行司らが被告人から本件清酒の処置を一任されていたとし、そのことから被告人に対し供与罪を認定しているのであるが、前記認定の事実からすると、被告人は、本件清酒を各屋敷の年行司らに対しその所有に帰せしめ、その自由処分に委せる意思で引き渡したものではなく、各屋敷の選挙人らに供与してもらう意思でこれを年行司らに寄託し、年行司らもその趣旨を了承して右寄託を受けたものと認められるのである。なるほど、被告人及び関係者らの捜査官に対する各供述調書中には、本件清酒は年行司ら個人に与えられたものであり、年行司らにおいて自由に処分しうるものであった旨の各供述部分が存するのであるが、関係各証拠によると、本件清酒を受け取った年行司らは、いずれもその屋敷の年長者あるいは有力者であって、熱心に年行司の責務を果たしていた者であり、同人らが年行司寄合という公式の場で、しかも他の屋敷の年行司らがいるところで前記状況のもとに受け取った右清酒について、その一部についてであれ、私的に領得する意思があったとは考え難い(事後的にも、これを領得した事実は存在しない。)うえ、これを持ち帰ったのち屋敷の他の年行司らあるいはその他の住民に被告人から酒を預かって来たことを披露などしていることが認められるのであり、また、被告人としても、当然年行司らが右のような処置をとるのであろうことを予想しながら右清酒を寄託したものとうかがわれるのであって、これらに徴すると、前記各供述部分は、同人らが原審あるいは当審公判廷で供述するように、捜査官に理詰めに追及されるなどした結果付加されたものと考えられ、その任意性は肯定しうるとしても、信用性には疑問があり、採用できない。

更にまた、関係各証拠によると、一般に年行司は、各屋敷宛に物品の寄付があった場合など、その屋敷の住民のためこれを保管のうえ、その屋敷内における慣行に従い、住民の意見を徴し、あるいは他の年行司らもしくは相談役らと協議するなどの手順を踏んで、同住民のため処分することは認められていたようにうかがわれるが、しかし、この場合でも、住民のためにするという目的に制約された処分であるから、このことをもって、選挙に関し前叙の趣旨で寄託された本件清酒について、その一部についてであっても、その年行司らが、自己の一存で、しかも、自己の所持に帰せしめるような処分をもなしうるものと推認する根拠とするのは相当でない。以上によれば、本件において、右年行司らに対し本件清酒についてその財産上の利益が帰属したと認めることは困難である。このような関係における物品の引渡しを「供与」と解することはできない。

以上の次第であって、被告人の年行司らに対する前叙の清酒の寄託は、公職選挙法二二一条一項五号にいう「交付」であって、同項一号にいう「供与」ではないと解すべきである。したがって、これと異なり原判決が「供与」の事実を認定したのは、事実を誤認したものであって、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、この点で理由がある。

四  よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年四月二二日施行の愛知県葉栗郡木曽川町議会議員選挙に際し、同町区内から立候補することを決意していたものであるが、自己の当選を得る目的で、未だ立候補の届出のない同年二月二三日ころ同町大字外割田字西郷東六四番地所在の西割田公会堂において、別表記載のとおり、同町内の通称西割田地区にある五つの屋敷(部落)の各年行司と呼ばれる役職にあり、かつ、選挙運動者である杉浦源三ほか六名に対し、同人らをして被告人に当選を得させる各自の属する屋敷の選挙人らに投票並びに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼させ、その報酬として右選挙人らに供与させる目的をもって、それぞれ一級清酒一・八リットル入り五本宛(合計二五本)(時価合計三万六二五〇円相当)を交付し、かつ、これによって立候補届出前の選挙運動をしたものである。

(証拠の標目)《省略》

なお本件において、起訴状記載の訴因である供与及びこれによる事前運動の事実が認められないことは、さきに弁護人らの控訴趣意に対する判断の項で説示したとおりであり、当裁判所は、検察官が当審で予備的に追加した訴因(交付及びこれによる事前運動)の範囲内で前叙の認定をしたのであるが、更に補足すると、別表番号5の受交付者は、前記二の(五)の5で認定した状況に照らすと、川合一郎、川合恒司の両名であり、両名が共謀のうえ交付を受けたものと認めるのが相当であるが、この点について訴因変更手続を経ることなく直ちに右のように認定しても、本件審理の経緯にも徴し、被告人の防禦に実質的な不利益を及ぼすものではないと判断した。

(法令の適用)

被告人の判示各所為のうち、各事前運動の点はいずれも公職選挙法(昭和五七年法律第八一号附則一四条により同法による改正前のもの。以下同じ。)二三九条一号、一二九条に、各交付の点はいずれも同法二二一条一項五号(一号)に該当するところ、右各交付とそれによる事前運動はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により重い各交付罪の刑に従い、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金を合算した金額の範囲内で処断することになるが、証拠に現われた諸般の情状、特に前叙の本件清酒の提供に至る経緯にかんがみると、本件犯行はその発端においては必ずしも被告人の本意でなく、部落長老らの勧告により余儀なくされた一面もあったとうかがわれることなど被告人のため酌むべき事情をも考慮のうえ、被告人を罰金一〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、被告人に対し、公職選挙法二五二条四項により同条一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を四年に短縮し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

(裁判長裁判官 小野慶二 裁判官 河合長志 鈴木之夫)

<以下省略>

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